2021年7月12日月曜日

東京五輪にみる翻訳記事の危うさ 「バッハは無観客になって残念」と言ったのか

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翻訳に関する記事を見つけたので紹介したい。
バッハ会長は何かと最近物議をかもしているが、今回の記事もそれ。
バッハが「東京オリンピックが無観客になり(俺は)残念だ」と言った、と。
皆様も耳にされた事があるでしょう。
 我々はこれを聞いて
「また、IOCが東京オリンピックに注文をつけたのか。命令しているのか」
と訝しく(いぶかしく)思ったものです。

 無観客と決まったようだが、このバッハの発言で覆って、観客を入れることになるのかな、という声もあちこちのSNSなどで見られた、というか、私は見たしそう思った。
 今回の記事は、本当にバッハが「東京オリンピックが無観客になり(俺は)残念だ」と言ったのか、というお話。
 詰まるところ、その翻訳に纏わる(まつわる)お話である。

 その発言の英文 バッハはドイツ人ですが英語で話しています。

"This was a really difficult one and we all regret the consequences for you the athletes but also for the spectators," Bach said from Tokyo in a video message to athletes.

 これもなかなか分かりにくい。というか、じっくり読むと大丈夫なのであるが、まずはスルーしたくなる。
 現代英文訓読法で見てみよう。


直訳:「この状況は本当に大変難しい状況である。そして私たちすべてはその結果をあなた達アスリートにとって、そしてまた観客にとって残念に思っている」とバッハは東京からアスリートへのビデオメッセージの中で言った。


巣友氏訳:「今回は非常に難しい状況下にあり、選手の皆さん、そして観客の方々のことを思うと私たちも遺憾ですが、このような結果(無観客)となりました」と、東京入りしたバッハ会長はビデオメッセージで選手たちにそう語りかけた。


うーん・・・巣友氏の訳は上手すぎて英文を目で追えない。

やはり英文訓読法の併記が望ましいのではないだろうか。


 ポイント バッハはあくまでもアスリートに語り伝えたものである、ということ。


 何やら、翻訳を変にねじ曲げて、皆の心に火をつけようとする輩が多いということでしょうね。

 このブログで以前に、WHOが小児へのワクチン摂取への懸念を示したが、翌日にそれを削除した、という記事がネット民の間で出回りましたが、実はちゃんと書いてあった、というお話をした。

参考記事:WHOは、依然として小児へのワクチン接種に対しては慎重姿勢である。

 今回も似たようなお話だったようです。


 もっとも、私はここ1−2年ゴタゴタで IOC もオリンピックもすっかり嫌いになってしまった。

 東京オリンピック まったく盛り上がっていない。

 ヨドバシに行ったが、まずテレビがまったく売れていない。

 普通はオリンピックがあるときにはテレビが売れまくるものである。

 在庫がなくなる。

 自国開催ならなおさらだろう。

 しかし、私がヨドバシに実際に足を運んでみてみると、テレビはちゃんとあるのである。

 品薄にはなっていない。それだけ盛り上がっていないのである。


 とにかく「翻訳」には気を付けましょう 

 おかしな翻訳に惑わされないようにしましょう というお話でした。


東京五輪にみる翻訳記事の危うさ

リモートで話すオリ・パラ組織委橋本聖子会長とIOCバッハ会長(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)


https://news.yahoo.co.jp/byline/konosuyukiko/20210712-00247561/


刺激の強い言葉を使いたがるマスコミ


IOC会長のトマス・バッハ氏も来日し、東京オリンピック、パラリンピックの開催予定日が近づいてきた。しかしコロナ禍で紆余曲折を経てきたこの東京五輪2020には、反対の声も強くある。


そうした経緯を反映しているのか、報道記事、とくに翻訳記事の見出しや本文中に、原文の意味や発言者本人の意図と些か違うのではないかと思われる表現が見受けられる。


目を引くキャッチーな見出しを使ったり、発言中でも読者の強い反応を喚起しそうな言葉を切り取ったり……メディアのこうした手法は今に始まったことではないのだけれど、最近とみに危うさを感じるようになっている。


「意訳」を利用したイメージづけはNG


先日の東京五輪2020五者会談で、東京、神奈川、千葉、埼玉の一都三県が「無観客試合」とする旨が決定された。その後、北海道と福島も無観客を選択した。


その無観客試合の決定を受けて、バッハ会長が「残念に思う」と述べたという記事が出回っている。たとえば、ロイターの翻訳記事の見出しはこのようになっている。


五輪=IOCバッハ会長、首都圏の無観客開催「残念」


記事中では「国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は9日、今月23日に開幕する東京五輪において、首都圏で予定されている競技が無観客開催となったことを「残念に思う」と述べた。」と書かれている。


これに対して、日本では「緊急事態宣言が出る状況で、無観客になって『残念』とは何事だ!」といった反発がSNS上でも渦巻いた。


しかし本人の発言の英文(原文)はこうだ。

"This was a really difficult one and we all regret the consequences for you the athletes but also for the spectators," Bach said from Tokyo in a video message to athletes.


いちおう訳文をつけておく。


「今回は非常に難しい状況下にあり、選手の皆さん、そして観客の方々のことを思うと私たちも遺憾ですが、このような結果(無観客)となりました」と、東京入りしたバッハ会長はビデオメッセージで選手たちにそう語りかけた。


「残念」の部分は、"we all regret the consequences for you the athletes but also for the spectators"。regretとは「遺憾に思う、悔やまれる」という意味だ。


報道においても非常に重要なことの一つは、「誰が誰に向けて発した言葉か」を明記することだ。この場合は、五者会談の場から選手たちに向けたメッセージだから、「選手のみなさんには気の毒ですが」ということになる。


しかし翻訳記事だけ読むと、バッハ氏が「無観客にしたのか、残念だなあ」とでも言っているように読める。


翻訳という隠れ蓑?


日本語は主語、動詞、述語とその関係が不明瞭(文脈依存)な部分があるから、言葉が多義的になりやすく、誤解も起きやすい。通信社も新聞社もそれを承知のうえで、アイキャッチのためにわざとミスリードを誘う「意訳」をしているのだとしたら、控えてほしい。


また、なにかの発言の「切り取り記事」というのは、それだけで公平さを欠くことがあるが、これが翻訳記事だと、さらに不透明性が高くなる。翻訳はある種のブラックボックスだからだ。翻訳を隠れ蓑のようにして悪者イメージを増幅させるとしたら、それは翻訳倫理に反する。


細かいことと思うなかれ、言葉の微妙なニュアンスで人はカチンときたり、敵意を煽られたりするものだ。実際、"小さな"誤訳によって、一度ならず戦争も起きてきたのである。誤訳が引き起こした戦争については過去にも書いたが、詳しく知りたい方にはこちらの書籍をお勧めする。


バッハ会長は日本人に「感謝しろ」と言ったのか?

バッハ会長への反発はますます強まり、7月10日にはデモ隊が氏の宿泊先のホテル前で、東京五輪中止などの訴えを行った。氏の広島、長崎訪問予定に対しても、反発が強まっている。


おそらくこうした動きに幾らか助長したと思われるのが、ZDF(ドイツ第2テレビ)で流れたバッハ会長の次のような発言だった。東京五輪の五者協議冒頭に行った挨拶の一部だ。該当部分にはドイツ語音声がかぶっていて英語のみ全文聴き取ることはできなかったため、ウェブ上にあった書き起こしを参照した。


The Japanese people can appreciate that at least 85% of the members of Olympic delegations coming to Japan will arrive here vaccinated.


この発言に対してドイツ(語圏)の視聴者から強いネガティヴ反応があった。


さらに、 The Japanese people can appreciate の部分が「日本人は感謝しろ」などと訳されて、ウェブ上で独り歩きしてしまった。"can appreciate"とは失礼極まりない言い回しだと断定され、猛烈な怒りを呼び起こしている。


最初に書いておきたいのは、バッハ氏は「感謝しろ」などと言っていないことである。前後の文脈がないので部分的に訳すのはむずかしいが、ここで使われているappreciateは「感謝する」ではなく、「(問題や状況を)充分に把握・認識・理解する」という意味と思われる。


これまでのバッハ氏の言動、人柄、独特の口調などを考えに入れずに、国際組織委長の発言として虚心坦懐にこの一文を読むと、こう読むのが妥当ではないか。


オリンピック代表団の少なくとも85%がワクチン接種済みで来日することは、日本の皆さんにもご理解いただきたいのです(orおわかりいただけるでしょう)。


ちなみに、言葉や文章のプロである複数の英語ネイティブ(作家、翻訳家、ジャーナリストなど)にも原文を読んでもらったところ、わたしと同解釈だった。単独の一文だといささかぶっきらぼうな感じはあるが、「切り取り文」なので致し方ないだろう。



can appreciateという言い方は失礼か?


"can appreciate"が不遜な表現かというと、必ずしもそうではないと思う(もちろん文脈により不遜なニュアンスを漂わせることはあるだろうが)。文頭にI hope などをつけてみると、よく見かける言い回しになる。たとえば、以下はコロナで閉鎖した学校関係者の発言だ。


I hope that you can appreciate that we don't want to take risks with this very transmissible virus.'

(こうしたごく感染しやすいウイルスが相手ですので、安全第一を旨とすることをご理解いただければと思います)


次は、あるウスターソースの沿革に関する文章。


Given the history behind Henderson's Relish, I hope you can appreciate that Sheffielders are fiercely proud of it.

(ヘンダーソンズ・レリッシュの沿革を振り返れば、シェフィールドの地元民がこのウスターソースをいたく誇りにしていることは、ご理解いただけましょう)


いちおう文法的な点に留意するなら、appreciateが後にthat節を取る(取れる)のは、be thankfulの意味より、 be fully aware/ to understand someting is true(~だと充分に理解している)という意味の場合が多い。


2. (may take a clause as object)

to take full or sufficient account of

to appreciate a problem

(コリンズ英英辞典)


もちろん会話やメールなどで、主語が一人称の場合、こんな「ありがとう」構文は山ほどあるが。

I appreciate that you reached out to me.


どうして誤解が起きたのか?


これを検討する際に慎重になるべき点を書いておく。こちらの1分12秒ぐらいからが当該の発言。


  1. 氏は極めて英語が堪能とはいえ、言い回しが微妙にドイツ語に引っ張られるなどは無いとは言えない。
  2. この発言がドイツのTVスタジオで流れた時、独語訳の音声が付いていた。
  3. 前後に文脈がある。

1に関しては、ドイツ語話者らしい英語の言い回しがあるかわからないが、英文としてはノーマルな範疇ものだ。


3については、ロシアでのロシア語報道を書き起こしてくれたかたがいて、この発言の前文には「東京五輪の選手に同行する代表団のワクチン接種は『あらゆる期待を上回る』ペースで進んでいます』」という言葉があったそうだ。そうであれば、「よって、少なくとも85%は接種済みで来日するとご認識ください」とつながるのではないか。


さて、2番だが、今回はこの影響もあったように思う。英文に、sich glücklich schätzen……と続くドイツ語訳の音声がかぶっており、最初にこのバッハ発言について日本語でtweetしたのはドイツ語話者だった。


あるドイツ語翻訳家に訊くと、sich glücklich schätzen は「自分を幸せだと思う、うれしく思う、喜ぶ」というイディオム。「ありがたく思いなさい」ほどの失礼な表現となるかどうかはともかく、英語原文のappreciate の意味とだいぶ離れてしまっているのは確かだ。氏の言葉から「感謝しろよ」という気持ちがたとえ感じられたとしても、憶測による深読みは安易に訳語に反映させるべきではない。


ともあれ、この一文を客観的に見た場合、「無礼きわまりない」と取るのは無理がある。


もちろん、appreciateというと「感謝する」という語義がいちばん知られているということは、間違いの第一誘因としてあるだろう。初歩的な単語にこそ、慎重に接したいと改めて思う。


翻訳する際の注意点


わたしは正直、IOCとバッハ氏のやり方にはいろいろ疑問を抱いているし、現状での五輪開催には強い懸念をもっているが、それと翻訳者の務めは別のところにある。今回の「感謝しろ」という誤訳(意訳?)は、以下の三つの問題点を孕んでいるだろう。


  • 道義上の問題。良からぬ人物だからといって、発言を改竄したり盛ったりしてはいけない。
  • 翻訳倫理の問題。意図的に「誤訳」したのであれば、翻訳倫理に反する。
  • 英語学習面での弊害。誤った語法や用法を広めてしまう。


翻訳文を読む人たちの大半はその外国語ができないか得意ではない。見えない部分の作業だからこそ、翻訳者には正確性のみならず中立性が求められるのだ。



巣友季子

翻訳家・文芸評論家














英語文学の現代小説から古典名作まで翻訳紹介に努める。訳書はエミリ ー・ブロンテ「嵐が丘」、マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」、ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」、マーガレット・アトウッド「昏き目の暗殺者」「獄中シェイクスピア劇団」「誓願」、J・M・クッツェー「恥辱」「イエスの学校時代」など多数。2018年に刊行した著書「謎とき『風と共に去りぬ』」は画期的論考として高い評価を得る。ほかに「熟成する物語たち」、「翻訳ってなんだろう?」など翻訳関連の著書も多い。津田塾大学、学習院大学、 早稲田大学エクステンションで翻訳の教鞭もとる。毎日新聞書評委員。日テレ・CS日テレ番組審議委員。東京都生まれ。



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